高齢者に関わりたいと思っている理由

2021年、丑年。

また新しい1年の始まりです。

皆さま、また1年よろしくお願いいたします☺!!

 

私の母方の祖父は丑年で健在であれば96歳の年男ですが、1まわり前の丑年2009年の今日、1月3日に永眠いたしました。

亡くなる数年前に脳梗塞で倒れ、以降はずっと寝たきりで週に数回、通所介護施設でお世話になっていました。

母の実家は遠方だったので頻繁に会いに行くことはできませんでしたが、初孫である私は祖父母にはとても愛されていたと思います。

夏休みや冬休みのほとんどを祖父母の家で過ごし、農作業をしている祖父の隣でずっと遊んでいたことを覚えています。

夕方には遊び疲れて寝てしまうので、その度に祖父は私を背負って畑から家まで歩いてくれました。

保育園の頃より小学生の夏休み、夏休みよりも冬休み、冬休みよりもまた次の年の夏休み…と、年月が経つごとに祖父の背中が小さくなっていくのを子供ながらに感じていました。

中学生や高校生になると、どんどん自分の時間を優先して、祖父母に会いに行くのはお盆とお正月ぐらいになり、大学生や社会人になってからは、それすらしなくなりました。

脳梗塞で倒れたことも知らず、私が今までの自分の行いを振り返って反省できる年齢になった頃にはもう祖父は寝たきりでした。

それからは、時間を作って祖父に会いに行くようにしていましたが、だんだんベッドから身体を起こしてくれなくなって、次に会いに行ったら自分で食事や排泄ができなくなって、次に会いに行ったら会話ができなくなっていました。

祖母や、母の弟妹がその介護をしている姿を目の当たりにしたのもその頃です。

12年前のお正月に祖父に会いに行った時には、もちろん話すこともできなかったけど、私の顔を見て握ってくれた手がとても温かかったのを覚えています。

その翌日に祖父は亡くなりました。

自宅介護で、亡くなった場所も家だったこともあり、警察が来て、介護疲れによる意図的な死ではないかと祖母や家族の取り調べがありました。

よくある光景かもしれませんが、祖父の介護をしていた祖母や叔父や叔母の姿を間近で見ていた私が感じた怒りや悲しさなど言葉では表現できないような感情を忘れられません。

 

祖父が亡くなり数日経って、遺品整理を手伝いに行きました。

その時に見つけた、誕生日カード。

祖父が通っていた通所介護施設で、誕生日を祝って施設の方が作ってくれたカードでした。

真ん中に、施設のスタッフに囲まれて笑顔でこちらを向いている祖父の写真と、その周りにはスタッフの方が書いてくれた「おめでとう」のメッセージの数々。

それを見つけた時、これもまた言葉で上手く表現できませんが、嬉しいような悲しいようななんとも言えない気持ちになりました。

孫の私でさえ、こんなことしてあげられなかったこと、自分が忙しさにかまけて祖父に何もしてあげられなかったことや何も伝えることができなかった後悔の気持ちが、そのカードを見て少し救われたような気がしました。

私には何もできなかったけど、おじいちゃんはちゃんとみんなに愛されて、大切にされていたんだなという安心感で、少し自分の心が楽になりました。

 

介護や高齢者への支援は、

「家族だからできること」と「家族じゃないからできること」があると思います。

「家族にしかできないこと」もきっとあるでしょう。

あの頃の私が祖父にできなかったことは、今の私なら誰かにできるかもしれないし、誕生日カードを書くことで気持ちが楽になる家族がいるなら、それも私にはできる。

家族じゃないとできないことは私にはできないけど、家族じゃないからこそできることもたくさんあって、それが誰かの気持ちを楽にしたり、役に立つこともあるんだと思うようになりました。

私が祖父に「ありがとう」や「大好き」を伝えたいと思った頃にはもう遅かったけど、もし祖父が寝たきりや認知症にならずに過ごすことができていたら、それを伝えられなかった後悔をすることはなかったし、祖母や叔父や叔母は介護の負担を担わずに生活ができていたかもしれません。

私はお医者さんではないから病気を治すことも命を救うこともできないけど、運動を通じて、病気を予防したり寝たきりや認知症を予防したり、健康寿命を延ばすサポートならできるかもしれない。

そんな気持ちが、私が高齢者に関わりたい、という想いにつながっています。