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血管性浮腫と急性蕁麻疹で

朝、起きたら

え。私の顔ってこんなに大きかったっけ(;’∀’)と思うほど顔がパンパンに腫れていて

自分の目がどこにあるのか分からないくらい(笑)瞼も腫れていて。

体を見てみると真っ赤になって全身に蕁麻疹。

何かのアレルギーかと思いましたが、

一般的にアレルギーは起因するものが体に入るとすぐに症状が出ると認知してたので、アレルギーとして思い当たるものもなく…(あとから病院で聞くと48時間以内とのことでしたが)

夜になり原因不明のまま症状が悪化して救急受診することになりました。

受診の結果、血管性浮腫と急性蕁麻疹だと診断され

私の場合、原因は「心的ストレス」と「疲労」だと言われました。。。

日常の中で小さなイライラは多々ありますが(笑)、私はストレスや疲れをたぶん他の人ほど感じていないのでビックリ仰天。

ストレスとか疲れを診断する簡単な検査の結果を見て、診察してくださった先生曰く

私はストレスや疲れに対するアンテナの感度が他の人より鈍いのだそう。

良くも悪くも取れますが…そんな自覚(自信?)もあります。

そう言われてみれば

コロナの影響で家族や生活環境に変化があったり、

ありがたいことですが、新しい場所でのお仕事が増えたり、

環境が変わった影響で自分の食事が疎かになったり…

していました。

自分は健康体だと自負していて、毎日元気である自分を過信していたことを反省しました。

表面的には何も不具合が現れなくても、心と体はきちんと休めなければならないということです。

症状が出る前の予防が、本当に本当に、本っっっ当に、大切だと改めて感じました。

体が痛みを出してくれると、その場所が悪いのだと気付くことができますが

無症状で悪化が進んでいることもたくさんあります。

でも、症状が出てからでは遅い!!!!!

治療で治すことができるものもありあすが、治療にはお金がかかります。

予防は無料。

しっかり予防しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高齢者ドライバーの交通事故

自宅近くの交差点で横断歩道を青信号で歩行中に、車が停止せずに突っ込み、当たった弾みで数メートル飛ばされ転倒しました。

痛みで立ち上がることはできませんでしたが意識もあり、すぐに状況を把握することもできて、

運が強いのか体が強のか分かりませんが、ほぼ無傷でした。

高齢者ドライバーの前方不注意でしたが、そのドライバーも無傷でした。

新聞やテレビで高齢者ドライバーが加害者になる事故を知ると、

「加害者になる高齢者は最低」とか

「免許返納すべきだ」と

私も思っています。

被害者が命に関わる怪我を負っていれば尚更、加害者と被害者が逆だったら良かったのにとさえ感じることもあります。

もし、自分の子供が被害者になったら、高齢者であれどんな状況であれ加害者を許すことはできません。

 

私の場合、事故後の加害者の対応はとても誠意の伝わるものでした。

相手も怪我はありませんでしたが、心に傷を負っているのがひしひしと伝わりましたし、「まさか自分が…」と思っているのがとても感じられました。

謝罪に自宅を訪問してくれた時も、私が彼の家を訪ねた時も、たくさん話をしました。

その家族ともたくさん話をして、初めて、加害者になった高齢者の家族の気持ちも知りました。

加害者になったその高齢者には、看護師をしている娘がいて、

娘は人の命を救う仕事をしているのに、自分は人の命を奪うような行為をしてしまったことにとても後悔していて、反省してもしきれないことや

老夫婦2人暮らしの生活には車が欠かせないことなど

事故後の葛藤を教えてくれました。

確かに、私や彼の住んでいる地域は周辺には何もなく「買い物難民地域」と言われています。

そして高齢者率は40%と、車が必須な高齢者がたくさんいる地域です。

もちろん全てがそうだと限りませんが、今回私は初めて、事故を起こした高齢者ドライバーの背景の一部を知る機会を与えられ、考えさせられることがたくさんありました。

被害者にならないことも大切ですが、高齢者を加害者にさせないことも大切なんだと思います。

今回の事故は100%相手の過失であり、

「自分や家族や他人のために、もう二度と同じことが起きないように今後のことをしっかり考えて決断と行動をしてください」

と相手に強くお伝えしました。

同時に、

せめて

当たったのが私で、私は元気に生きているし、幸いにも車が当たっても身を守れる術が人よりは少しある相手だったことが彼の救いになれば…

とも思っています。

 

もちろんそれは、

被害にあったのは自分ひとりだから、

軽傷だったから、

命があったから、

相手が誠実に対応してくれたから、

だということはじゅうぶんに理解しているし、加害者に背景があるからと言って罪は許されませんし、相応の処罰は受けるべきですが。

 

救いたいと思う理由

また祖父の話になりますが…今回は父方の祖父の話です。

祖父は私が中学1年生の時に72歳で永眠しました。

肺炎を患い入院していたので、その日もいつものようにお見舞いに行くため自宅を出ようとした時、電話が鳴りました。

祖父が入院している病院からで「容態が悪化している」とのこと。

そのまま病院に向かい病室に着くと、主治医とナース数名が祖父のベッドを囲んでいました。

祖父は人工呼吸器を付けられ意識のない状態でした。

私と母が到着するなり主治医は

「今から心臓マッサージをします」と言い、

胸骨圧迫を始めました。

当時は何が何だかよく分からずただ呆然と見ていましたが、今となればあれは除細動器だったんだと思います。

「電気ショックというやつだな」と思った記憶があります。

そのあとまた胸骨圧迫が始まりました。

よくドラマなどで見る、ピッピッと音が鳴る心拍や心電図のモニターが、目の前でホントにドラマのように

「ピッピッ…ピーーーーーー」と

音が止まりました。

それが何を意味するのかは、知識も何もない中学1年生の私にもすぐに理解できました。

隣で母は泣いていましたが、私は夢を見ているような感覚で、ずっとその光景を見ていました。

どれくらい時間が経ったか分かりませんが、胸骨圧迫を続けながら主治医は

「もう、続けなくて良いですか?」と

母に尋ねました。

母は、

「はい、ありがとうございました。」

と答えました。

人の命が終わる瞬間に初めて立ち会い、当時は何も考えることなくただ時が流れていきましたが、今そのことを思い出すと色んな想いが溢れます。

救える命もあれば、救えない命もあるんだな…とか。

AEDが普及し認知され始めて、

「突然目の前で人が倒れたら、その人の命を救うのは医者でもAEDでもなく、その場にいるあなた」

というような言葉を耳にするようになり、中学1年生の時に見たあの光景が思い出されるようになりました。

祖父の命を繋ごうと懸命に施してくれた処置が、今は私にもできるかもしれない。

もちろんお医者さんほどの知識も技術もないし、あの時祖父は戻って来なかったけど、少しの勇気を出せば0%を0.01%にできるかもしれない。

そんな経験や想いがあって、救命の一時処置の技術を身に付けておきたいと思ったのです。

 

感染症予防について思うこと

私の住む大阪府でも、ついに2回目の緊急事態宣言が発令され、新型コロナウィルス感染拡大の事態の深刻さを改めて感じています。

インストラクター業はもちろん飲食業やその他の業種でも、切羽詰まる経営を迫られている方々を思うと胸が痛いです。

私の仕事においても、クラスに参加される方や持病のある高齢者がマスクをして苦しそうに肩で息をしながら運動している姿が当たり前になりつつあります。

クラス中に参加者の皆さまが発語することはないので、マスクを外してもらっても良いのにな…と思うと同時に、ふと感じたことがありました。

私は仕事柄、不特定とまではいきませんが多くの方と毎日接しています。

それでも今、私が感染していないのは、自分自身が感染予防に努めているからだけではなく、息苦しさを感じながらも真面目にマスクをつけてくださる多くの方のおかげであり、手がガサガサに荒れていてもきちんと消毒をしてくださる多くの方のおかげであると思います。

感染しないことは一人ではできない、ということをとても感じています。

自分が無事でいられるのは、周りの人の協力や、見ず知らずの人の心がけのおかげなのです。

コロナと共存する生活様式は不便さもありますが、ひとりひとりが自分のため、それが誰かのためにもなっているのだと思います。

今は我慢の時かもしれませんが、

止まない雨はないし明けない夜もないし春が来ない冬もありません。

状況も落ち着き暖かい気候になったら、存分に毎日を楽しめるように、身体の準備をしておきましょう!

まずは、当たり前で小さな日常生活を整えること。

引き続き感染予防に努めたいと思います。

ランニングパトロール

南堺警察署(大阪府堺市南区桃山台2丁2-1)の生活安全課防犯係にご協力させていただき、

『ランニングパトロール』という活動を始めます。

何かしながら地域を見守る「ながら見守り活動」としての取り組みで、自分が趣味でしているランニングも誰かの何かの役に立てばいいなと思い、始めることにいたしました。

署で位置づけされている「ながら見守り活動」とは

「走りながら、歩きながら、散歩しながら、買い物しながら、何かをしながら、地域の子どもたちを見守る活動」

としていますが、私は職業柄、地域の高齢者を守る活動としても協力していこうと思っています。

 

自宅近くの緑道をランニングしていると、同じようにランニングしている高齢者や、ウォーキングや散歩をしている高齢者もたくさん見かけます。

中には杖をつき反対側の手は手すりにつかまり、ゆっくりソロリソロリと歩くリハビリをされているような方や、

脳梗塞の後遺症か何かで半身不随の方も見かけます。

そのような方はもちろんですが、元気そうにランニングやウォーキングをしている高齢者が、突然倒れたり、転倒して立ち上がれなくなったり、怪我をして出血していたり…ということがあったら、と思うと考えただけでゾッとします。

ランニングパトロールという活動の中で、私がそのような現場に遭遇することはないかもしれないし、

あったとしても私にできることは限られているかもしれませんが、どうせ自分のために走るならそれが誰かのためにもなればいいなと思っています。

 

私の住む泉北ニュータウンは高齢化が進んでいて、自宅の周りも高齢者だらけです。

日常生活の中でも、最寄りのバス停で転倒し動けなくなっている方がいたり、おそらく認知症で徘徊していて自宅に帰れず迷子になっている方がいて、少しだけお手伝いをさせていただくこともありました。

私は比較的ためらわずにお声をかけますが、昨今の治安情勢上、知らない人に声をかけられたら怪しまれるのは当然で、転倒していた高齢者を自宅にお連れした時にご家族の方に不審に思われたこともあります。

警察署の生活安全課に協力させていただき活動していると名乗ることができれば、今後同じようなことがあった時、ご家族の方にも少しは安心していただけるかなと思います。

 

私にも小学生と未就学児の子がいるので、子どもたちの安全を守るためにも、この活動を活かしていきたいです。

一緒に地域の子どもたちや高齢者の見守り活動に協力していただける方がいたら、ご連絡ください♪

 

高齢者に関わりたいと思っている理由

2021年、丑年。

また新しい1年の始まりです。

皆さま、また1年よろしくお願いいたします☺!!

 

私の母方の祖父は丑年で健在であれば96歳の年男ですが、1まわり前の丑年2009年の今日、1月3日に永眠いたしました。

亡くなる数年前に脳梗塞で倒れ、以降はずっと寝たきりで週に数回、通所介護施設でお世話になっていました。

母の実家は遠方だったので頻繁に会いに行くことはできませんでしたが、初孫である私は祖父母にはとても愛されていたと思います。

夏休みや冬休みのほとんどを祖父母の家で過ごし、農作業をしている祖父の隣でずっと遊んでいたことを覚えています。

夕方には遊び疲れて寝てしまうので、その度に祖父は私を背負って畑から家まで歩いてくれました。

保育園の頃より小学生の夏休み、夏休みよりも冬休み、冬休みよりもまた次の年の夏休み…と、年月が経つごとに祖父の背中が小さくなっていくのを子供ながらに感じていました。

中学生や高校生になると、どんどん自分の時間を優先して、祖父母に会いに行くのはお盆とお正月ぐらいになり、大学生や社会人になってからは、それすらしなくなりました。

脳梗塞で倒れたことも知らず、私が今までの自分の行いを振り返って反省できる年齢になった頃にはもう祖父は寝たきりでした。

それからは、時間を作って祖父に会いに行くようにしていましたが、だんだんベッドから身体を起こしてくれなくなって、次に会いに行ったら自分で食事や排泄ができなくなって、次に会いに行ったら会話ができなくなっていました。

祖母や、母の弟妹がその介護をしている姿を目の当たりにしたのもその頃です。

12年前のお正月に祖父に会いに行った時には、もちろん話すこともできなかったけど、私の顔を見て握ってくれた手がとても温かかったのを覚えています。

その翌日に祖父は亡くなりました。

自宅介護で、亡くなった場所も家だったこともあり、警察が来て、介護疲れによる意図的な死ではないかと祖母や家族の取り調べがありました。

よくある光景かもしれませんが、祖父の介護をしていた祖母や叔父や叔母の姿を間近で見ていた私が感じた怒りや悲しさなど言葉では表現できないような感情を忘れられません。

 

祖父が亡くなり数日経って、遺品整理を手伝いに行きました。

その時に見つけた、誕生日カード。

祖父が通っていた通所介護施設で、誕生日を祝って施設の方が作ってくれたカードでした。

真ん中に、施設のスタッフに囲まれて笑顔でこちらを向いている祖父の写真と、その周りにはスタッフの方が書いてくれた「おめでとう」のメッセージの数々。

それを見つけた時、これもまた言葉で上手く表現できませんが、嬉しいような悲しいようななんとも言えない気持ちになりました。

孫の私でさえ、こんなことしてあげられなかったこと、自分が忙しさにかまけて祖父に何もしてあげられなかったことや何も伝えることができなかった後悔の気持ちが、そのカードを見て少し救われたような気がしました。

私には何もできなかったけど、おじいちゃんはちゃんとみんなに愛されて、大切にされていたんだなという安心感で、少し自分の心が楽になりました。

 

介護や高齢者への支援は、

「家族だからできること」と「家族じゃないからできること」があると思います。

「家族にしかできないこと」もきっとあるでしょう。

あの頃の私が祖父にできなかったことは、今の私なら誰かにできるかもしれないし、誕生日カードを書くことで気持ちが楽になる家族がいるなら、それも私にはできる。

家族じゃないとできないことは私にはできないけど、家族じゃないからこそできることもたくさんあって、それが誰かの気持ちを楽にしたり、役に立つこともあるんだと思うようになりました。

私が祖父に「ありがとう」や「大好き」を伝えたいと思った頃にはもう遅かったけど、もし祖父が寝たきりや認知症にならずに過ごすことができていたら、それを伝えられなかった後悔をすることはなかったし、祖母や叔父や叔母は介護の負担を担わずに生活ができていたかもしれません。

私はお医者さんではないから病気を治すことも命を救うこともできないけど、運動を通じて、病気を予防したり寝たきりや認知症を予防したり、健康寿命を延ばすサポートならできるかもしれない。

そんな気持ちが、私が高齢者に関わりたい、という想いにつながっています。

 

 

救急の日に思うこと

9月9日は『救急の日』ですね。

元気に何もなく毎日を過ごしている人にはあまり馴染みがないかもしれないけど…

運動指導の仕事をしていると、過度な運動で体調が悪くなったり激しいレッスンで怪我をする人がいたり、高齢者も多く持病を持つ人もおられるので、119番通報や救急車、AEDや心肺蘇生などは私にとっては比較的身近なことです。

現在7歳の長男が2歳の頃にスキー場で初めて熱性けいれんを起こし、119番通報したけど山奥すぎて救急車がすぐに来れずドクターヘリで搬送されたことがあります。

その後も頻繁に無熱性けいれんを起こすようになり、検査の結果小児てんかんと診断されました。

月に何度も発作(けいれん)が起きるので、その度に救急車を呼び、1週間に2回ぐらいのペースで救急搬送という時期が2カ月ほど続きました。

 

車を運転中に救急車が来ると当たりのように道を譲るけど、実際に救急車に乗ってる患者側として救急車の中からその景色を見ていると、

「どの車も自分たちのために道を譲ってくれている」

「早く病院に着いて1秒でも早く手当てを受けられるようにみんなが協力してくれている」

と感じて、感謝しかない気持ちになります。

道を譲ってくれてた車には、自分たちも急いでどこかに向かっている人もいたかもしれません。

それでもサイレンが聞こえたら優先して道を譲るという、みんなが当たり前にしている行動がどれだけありがたかったか、忘れることはありません。

だからこそ

こういったことは本当にやめてもらいたいと思います。

私の住んでいる大阪府は、人口あたりの救急出場件数が全国でもトップクラスとのこと。

そして搬送人員のほぼ半数は65歳以上の高齢者だそうです。

上記の画像や、画像をクリックして見られる記事のような利用例はほんの一部かもしれませんが、本当に救急車が必要な人のために、ひとりひとりがきちんと考えて行動してほしいです。

 

息子がけいれん発作を起こす度に救急車を呼び、搬送先で検査を受けたら異常なしで帰宅するということの繰り返しだったので、

「主治医からは、発作が起きたら救急車!と言われてるので毎回呼んでますが、結局いつも異常なしで帰ってくるので、今後も本当に救急車要請していいのか…」

と救急隊員に尋ねたことがあります。

救急車の間違った使い方のせいで、本当に救急救命が必要な人の元に救急車が行けないと聞いたこともあったので。

その時に救急隊員は、

小さなお子さんがけいれん発作を起こしたらとても心配だから、この先も同じようなことが起きたらすぐに救急車を呼んでください

救急車が到着して少しでもお子さんとお母さんが安心してくれれば良いです

発作が起きたら救急車!で、いいし、搬送先から毎回異常なしで帰って来られて良かったです

と言ってくれました。

そんな気持ちで救急救命に尽力されている人の気持ちがあると知って、一層「救急車は正しく使わなければならない」と思うようになりました。

総務省消防庁に【救急車利用マニュアル】というものがあります。

救急車のイラストをクリックして、一度見てみてほしいです。

今日の読売新聞朝刊より。

コロナ渦での救急医療について載っていました。


てんかんと診断された息子ですが…

服薬治療を終え、幸いにも約5年間発作が起きることなく毎日元気に過ごしています。

 

余談ですが、

救急車が来れないほどの山中でドクターヘリ搬送していただきましたが、最寄りの救急病院まで車で2時間半だと言われたところを、ヘリなら7分で到着しました。

ドクターヘリすごいです。

 

ウィズコロナな夏休み

ウィズコロナな短い夏休みは、家族4人ハイエースで3泊過ごす高知県への旅をしました♪

モンベルアウトドアチャレンジでのシャワークライミング

東洋町白浜海水浴場でのビーチホッピング

有名なお店で現地の美味しいものも食べたかったけど、やっぱり有名なお店は混雑していたので…

適当な場所にあるごく普通のスーパーで買ったお惣菜を山に囲まれて食べました。

 

フカフカのベッドで手足を伸ばして寝たかったけど、県またぎの観光客が感染を拡げてはいけないので…

狭い狭いと言いながら(笑)、波の音を聞きながら車中泊で過ごしました。

 

ほかにも人ゴミや密を避けて行動した結果、、、

空も海も、大自然を貸し切りな場所をたくさん発見!!

シャワークライミングやビーチホッピングは人数制限など感染拡大対策を設けての実施なので、密になることなく、久しぶりにマスクなしで思いっきり遊べて子供たちも大満足だったようです♪

またコロナウイルスは、流水だけでも1/100に減る(厚生労働省公式HPより)と予め調べていたので、水遊びは比較的安心して楽しむことができました。

 

コロナな夏休みで、子供を遊ばせるところがないとか、「夏休み難民」だなんて嘆く前に、じゅうぶんな下調べと知識を持つことで、できることはたくさんあるのです。

親の工夫で、楽しむことはいくらでもできると思います。

 

美味しいものが食べられなくても、自然に囲まれながら家族4人で食べるお惣菜はプライスレス!だったし

広々ベッドで寝れなくても、波の音が子守唄になるなんて最高の贅沢!でした。

 

いつまで続くか分からないけど、元に戻るのを待つのではなく、新しい楽しみ方を『今』の中で見つけていくことが大切だと感じています☺