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パトランSEMBOKUメンバー募集!!

現在、私は南堺警察署の防犯係に協力させていただき

個人的に「ランニングパトロール」という活動をしています。

この度この活動を、泉北沿線盛り上げ隊のメンバーとともに

警察署とは別の団体として『パトランSEMBOKU』を新たに立ち上げることとなりました!!

「ランニングパトロール」は、趣味のランニングをしながら

通学時の子供たちや、地域の高齢者を見守る活動としておこなっていますが、

『パトランSEMBOKU』では、

●ウォーキングやお散歩

●犬の散歩

●家の周りのゴミ拾い

●内職のポスティング

などなど、ちょっと家の外に出る用事の時に

その周辺や近隣住民に異変や問題がないかを見守っていただくものになります。

南堺警察署と連携し、営利を目的としないオフィシャルな団体として

地域の防犯や地域住民の安全の見守りをおこないます。

メンバーとして高齢者や障がい者の加入も歓迎し、

その方たちが地域での役割を担うことで「やりがい」や「生きがい」を持って日常生活を送っていただきたいことや、

要支援未満で、区や包括からのサポートは得られないけど日常生活に不安のある方々の見守りやお声かけがしたい!

という私の想いのもと、発足することとなった団体です。

自分のためにやっていることを誰かのためにも…

自分の日常生活の一部が地域のために…

と、ご賛同いただけるメンバーを募集しています。

と言っても活動内容は難しいものではなく、

例えば、

「〇月〇日〇時~〇時、〇〇の場所で犬の散歩をしました。問題ありませんでした。」

「□月□日□時~□時、□□から□□までランニングしました!変わったことはありませんでした!」

というように、

散歩した報告やジョギングした報告をくださるだけで結構です。

もちろん、本格的なランナーも歓迎!!

泉北内では緑道ウォーキングや緑道ランニングなどのイベントも実施されているので、

そういったイベントや大会とのコラボレーションも計画しております。

(今後もコロナの影響でどのようになるかは未定ですが…)

活動は堺市南区(泉北高速鉄道線 光明池~泉が丘)中心の泉北ニュータウン内です。

細かい会則などの決定はこれからですが、

まずはスタートメンバーとして一緒に参加してくださる方は

こちらのお問い合わせページからご連絡ください。

Facebook・InstagramのDMからでも、お気軽にどうぞ♪

合わせて、

今後この活動で使用する腕章やTシャツなどを作成いただける方や

デザインを考えてくださる方、協賛いただける団体や企業も募っています。

血管性浮腫と急性蕁麻疹で

朝、起きたら

え。私の顔ってこんなに大きかったっけ(;’∀’)と思うほど顔がパンパンに腫れていて

自分の目がどこにあるのか分からないくらい(笑)瞼も腫れていて。

体を見てみると真っ赤になって全身に蕁麻疹。

何かのアレルギーかと思いましたが、

一般的にアレルギーは起因するものが体に入るとすぐに症状が出ると認知してたので、アレルギーとして思い当たるものもなく…(あとから病院で聞くと48時間以内とのことでしたが)

夜になり原因不明のまま症状が悪化して救急受診することになりました。

受診の結果、血管性浮腫と急性蕁麻疹だと診断され

私の場合、原因は「心的ストレス」と「疲労」だと言われました。。。

日常の中で小さなイライラは多々ありますが(笑)、私はストレスや疲れをたぶん他の人ほど感じていないのでビックリ仰天。

ストレスとか疲れを診断する簡単な検査の結果を見て、診察してくださった先生曰く

私はストレスや疲れに対するアンテナの感度が他の人より鈍いのだそう。

良くも悪くも取れますが…そんな自覚(自信?)もあります。

そう言われてみれば

コロナの影響で家族や生活環境に変化があったり、

ありがたいことですが、新しい場所でのお仕事が増えたり、

環境が変わった影響で自分の食事が疎かになったり…

していました。

自分は健康体だと自負していて、毎日元気である自分を過信していたことを反省しました。

表面的には何も不具合が現れなくても、心と体はきちんと休めなければならないということです。

症状が出る前の予防が、本当に本当に、本っっっ当に、大切だと改めて感じました。

体が痛みを出してくれると、その場所が悪いのだと気付くことができますが

無症状で悪化が進んでいることもたくさんあります。

でも、症状が出てからでは遅い!!!!!

治療で治すことができるものもありあすが、治療にはお金がかかります。

予防は無料。

しっかり予防しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高齢者ドライバーの交通事故

自宅近くの交差点で横断歩道を青信号で歩行中に、車が停止せずに突っ込み、当たった弾みで数メートル飛ばされ転倒しました。

痛みで立ち上がることはできませんでしたが意識もあり、すぐに状況を把握することもできて、

運が強いのか体が強のか分かりませんが、ほぼ無傷でした。

高齢者ドライバーの前方不注意でしたが、そのドライバーも無傷でした。

新聞やテレビで高齢者ドライバーが加害者になる事故を知ると、

「加害者になる高齢者は最低」とか

「免許返納すべきだ」と

私も思っています。

被害者が命に関わる怪我を負っていれば尚更、加害者と被害者が逆だったら良かったのにとさえ感じることもあります。

もし、自分の子供が被害者になったら、高齢者であれどんな状況であれ加害者を許すことはできません。

 

私の場合、事故後の加害者の対応はとても誠意の伝わるものでした。

相手も怪我はありませんでしたが、心に傷を負っているのがひしひしと伝わりましたし、「まさか自分が…」と思っているのがとても感じられました。

謝罪に自宅を訪問してくれた時も、私が彼の家を訪ねた時も、たくさん話をしました。

その家族ともたくさん話をして、初めて、加害者になった高齢者の家族の気持ちも知りました。

加害者になったその高齢者には、看護師をしている娘がいて、

娘は人の命を救う仕事をしているのに、自分は人の命を奪うような行為をしてしまったことにとても後悔していて、反省してもしきれないことや

老夫婦2人暮らしの生活には車が欠かせないことなど

事故後の葛藤を教えてくれました。

確かに、私や彼の住んでいる地域は周辺には何もなく「買い物難民地域」と言われています。

そして高齢者率は40%と、車が必須な高齢者がたくさんいる地域です。

もちろん全てがそうだと限りませんが、今回私は初めて、事故を起こした高齢者ドライバーの背景の一部を知る機会を与えられ、考えさせられることがたくさんありました。

被害者にならないことも大切ですが、高齢者を加害者にさせないことも大切なんだと思います。

今回の事故は100%相手の過失であり、

「自分や家族や他人のために、もう二度と同じことが起きないように今後のことをしっかり考えて決断と行動をしてください」

と相手に強くお伝えしました。

同時に、

せめて

当たったのが私で、私は元気に生きているし、幸いにも車が当たっても身を守れる術が人よりは少しある相手だったことが彼の救いになれば…

とも思っています。

 

もちろんそれは、

被害にあったのは自分ひとりだから、

軽傷だったから、

命があったから、

相手が誠実に対応してくれたから、

だということはじゅうぶんに理解しているし、加害者に背景があるからと言って罪は許されませんし、相応の処罰は受けるべきですが。

 

救いたいと思う理由

また祖父の話になりますが…今回は父方の祖父の話です。

祖父は私が中学1年生の時に72歳で永眠しました。

肺炎を患い入院していたので、その日もいつものようにお見舞いに行くため自宅を出ようとした時、電話が鳴りました。

祖父が入院している病院からで「容態が悪化している」とのこと。

そのまま病院に向かい病室に着くと、主治医とナース数名が祖父のベッドを囲んでいました。

祖父は人工呼吸器を付けられ意識のない状態でした。

私と母が到着するなり主治医は

「今から心臓マッサージをします」と言い、

胸骨圧迫を始めました。

当時は何が何だかよく分からずただ呆然と見ていましたが、今となればあれは除細動器だったんだと思います。

「電気ショックというやつだな」と思った記憶があります。

そのあとまた胸骨圧迫が始まりました。

よくドラマなどで見る、ピッピッと音が鳴る心拍や心電図のモニターが、目の前でホントにドラマのように

「ピッピッ…ピーーーーーー」と

音が止まりました。

それが何を意味するのかは、知識も何もない中学1年生の私にもすぐに理解できました。

隣で母は泣いていましたが、私は夢を見ているような感覚で、ずっとその光景を見ていました。

どれくらい時間が経ったか分かりませんが、胸骨圧迫を続けながら主治医は

「もう、続けなくて良いですか?」と

母に尋ねました。

母は、

「はい、ありがとうございました。」

と答えました。

人の命が終わる瞬間に初めて立ち会い、当時は何も考えることなくただ時が流れていきましたが、今そのことを思い出すと色んな想いが溢れます。

救える命もあれば、救えない命もあるんだな…とか。

AEDが普及し認知され始めて、

「突然目の前で人が倒れたら、その人の命を救うのは医者でもAEDでもなく、その場にいるあなた」

というような言葉を耳にするようになり、中学1年生の時に見たあの光景が思い出されるようになりました。

祖父の命を繋ごうと懸命に施してくれた処置が、今は私にもできるかもしれない。

もちろんお医者さんほどの知識も技術もないし、あの時祖父は戻って来なかったけど、少しの勇気を出せば0%を0.01%にできるかもしれない。

そんな経験や想いがあって、救命の一時処置の技術を身に付けておきたいと思ったのです。